心理カウンセラー 林やよいのプロフィール
【東京下町に5人兄弟の真ん中として誕生】
昭和35年1月に東京都荒川区で生まれました。
母は結婚したら子供は5人欲しいと思っていたようです。
姉、兄、私と産んだその後 弟、妹と母は5人の子供を産みました。
兄と私の間は4年間あるのですがその間に2人の胎児を流産したそうです。
だからようやく生まれた3人目に家族中が大喜びしてくれたと聞いています。
私が生まれた後は1年後に弟、3年後に妹が生まれました。甘えたいのに次々に誕生する子供に
ほって置かれ 静かにしている子がいい子・・として育ちました。
【自分の気持ちが表現できない】

当時、両親はメッキ業を営んでいました。親戚のお兄さんやお姉さんも
住み込みで仕事を手伝いに来ていたので
大家族(9人〜10人)の中でいるかいないのかわからないようにして育ちました。
元々、HSC(繊細な子ども)だったようで自分の存在を消し目立たないように
育ってきたように思います。
そんな中、周囲の大人の感情を敏感に察知していました。
忙しそう・・ イライラしてる・・ 声をかけたいけど何かやってる・・
両親に甘えたい時に甘えることができずに自分の気持ちは
表に出さないまま育ってきました。
大人しくっていつも黙っている 自分の気持ちを言えない・・ノーが言えない・・
当然、幼稚園でいじめに合いました。
整列している私の後ろの子が先生の「右、左、右、左‥」の掛け声に
合わせて足踏みしながら私のお尻に膝蹴りして来るのです。面白がって・・
いじめられたら「止めてっ」て言えばいいのに・・ 何も言えませんでした。
言えないんです・・嫌なのに我慢しちゃうんです(涙)
いじめはクラスが変わるまで毎日続きました。毎日、毎日・・・
自分の気持ちをどう伝えたらいいのかわかりませんでした。
【何の価値もない自分】
小学生になって通信簿にコメント欄に書かれる事はいつも決まっていました。
・大人しい
・引っ込み思案
・内気
・行動が遅い
その評価は 私は何の影響力もなくて、いてもいなくてもどっちでもいい人
何の価値もない自分という自己評価に繋がっていきました。
中学生の頃は無目的で「自分は何の為に生きているんだろう?」
「私には生きる価値があるのだろうか?」と答えの出ないぽわんとした気持ち
受けたくもないテストをまた受けなければいけないのかと・・
生きていることに何の意味も価値も感じない・・
子供でも大人でもない中間の年齢 日々、気持ちはグラグラでした。
【自己主張は高校生から‥】
高校生になってからは学校が終わった後、アルバイトを始めました。
父が病気になり入院していましたのでせめて自分の学費は自分で稼ごうと
頑張りました。夜、結婚式場での宴会のウェイトレスです。
力仕事で疲れましたが働くことで出会うお客様の笑顔と、
日払いの報酬が嬉しくって、暫く続けていました。
アルバイト疲れで学校を遅刻することも多く担任の先生に
目覚まし時計の数を増やすように指導されていました。
高校生になって身長が10cm以上伸びました。
身体の成長に合わせて心が成長したのはこの頃です。
この頃から少しずつ自己主張することを覚えていきました。
アルバイトで言語化して事情を話さないと自分がした行為の
意味は伝わらないんだとやっとわかって来たのです。
商業高校だったので友達はほとんど名前の知れた大きな会社に
就職してOLになる道を選択していました。
でもOLは私には向かない‥ 何をしようと漠然と考えていました。
その頃、アルバイトで知り合った方が保育園の先生でした。
その方の話す保育園での出来事を聞いていると「うわぁー楽しそう🎶
私、保育園の先生になる!」と決めていました。
【心理学を学んだ喜びを感じる】

専門学校では「児童心理学」や「保育心理学」「発達心理学」は等の心理学を学びました。
この時、とてつもない喜びが私の中に生まれたのです!!
心を扱ったこんな学問があるなんて知らなかった💦
自分が感じていること・・そしてどんな考え方が楽に生きられるのか・・
私はこういうことを学びたかったんだ!!と全身で鳥肌が立つように感じました。
保育学校を卒業した後、保育士として保育園の先生になりました。
自分がやりたかったことができている
喜びが大きくやりがいがしっかりありました。
真っ白なキャンパスのような子供たちに毎日会えるのがとても楽しかったです。
保育園で働いていた頃、付き合っていた夫と結婚しました。
結婚後、平凡な暮らしを楽しんできたと思います。
でもずっとやってきたのが「心の探求」です。心のことは一番大切と感じてきました。
40代になると無性に「心に関する仕事がしたい」と思うようになりました。
何をしたらいいのかわからないんだけど
私は心に関する仕事がしたいという心の奥にある魂の叫びのようなものを
いつも感じていました。
【ボディートークをカウンセリングに】

心に関する何をしたら良いかわからないまま50代になりました。
そして54歳でアメリカから来たボディートークという手法に出会うのです。
私達の内面の意識が作り出す心の症状や身体の症状を手首の筋肉や神経の反射
を通して「ハイとイイエ」で聞いて行きます。
(これが現在の「バランストーク」になります。)
そしてアンバランスになったエネルギーを調整する為に上、中、下の丹田(頭、胸、腹)
にタップをする流れで修復を促します。
例えば、右肩にある傷を探すのに
「傷があるのはヘソから上?」「ハイ」
「更に傷があるのは左側?」「イイエ」
「傷があるのは右側?」「ハイ」
「傷があるのは右側の胸より上」「ハイ」
という風に範囲を段々絞って行き、
「胸」「肩」「腕」と聞いてハイになる肩の傷を探して行くのです。
そして肩の傷にリンクしている意識や感情を探すという手法なんです。
肩には責任感という意識があります。
肩の傷がなかなか治らないのは過剰な責任感が影響していると見ていきます。
過剰な責任感は家族から起因している等
家族との関わり方を調整していきます。
ボディートークをしていると
絡まった糸を解しているような出来事にちょくちょく遭遇します。
心と身体に悩みを持ったご相談者様に変化が起きて笑顔
になってもらえることが私の最高の喜びでずっと続けてきました。
ボディートークをベースに他の手法も加わったものをまとめて
バランストークと命名して更に磨きをかけております。
セッション数はすでに2000を超えています。
言わなきゃいけないのに言えない
自分の気持ちがグラグラしている
自分は無力だ、何にもできない
と思いながら生きてきた私が今、
心に取り組んで生きやすく幸せな日々を感じることができるように変わりました。
受け身で時間と身体を人任せに してきた他人軸から
自分が何を感じ何を大切と思うか・・これを最優先にすることが出来ました。
こんな私だからこそ、ここまでお読みいただいたあなたのお力に
なれるかも知れない、これから訪れるあなたの嬉しい変化に
心からの喜びを感じあいたいと思います。
